宮城県気仙沼市に災害ボランティアとして参加して まず、被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、1日も早く元の生活に向けて復興 復旧しますようお祈り申し上げます。多くの犠牲者の方々、心よりご冥福を申し上げます。 この度、4月29日から5月3日の日程で宮城県気仙沼市に災害ボランティアとして行って来ました。3月11日以来 メディアから流れてくる情報はとても同じ日本とは思えないものばかりで一体どうなっているのか?一刻も早く現地に行きたいとずっとアンテナを張ってました。普段から人から聞く話より自分で体験、経験したことを話すことにしてるのも動機のひとつです。 まず、今回入った気仙沼市について 宮城県の北に位置し、みなさん御存じの通り漁業が盛んで特産品としては「フカヒレ」「さんま」「かつお」「マグロ」「マンボウ」「ワカメ」「アワビ・ウニ」など水揚げ日本一が多くあります。 人口と世帯数(平成23年3月末現在) ○人口 73,363人 ○世帯数 26,417世帯 被害の状況(平成23年5月5日現在) ○死者数 913人 ○行方不明者数 609人(市内の方569人 その他40人) (行方不明者数は、気仙沼警察署に届け出された人数です) ○住宅被災棟数 10,672棟 ○被災世帯数 9,500世帯 ライフライン ○電気の復旧状況 震災前の供給戸数 42,394戸 5月3日現在 28,620戸(約67.5パーセント)に電力供給 ○上水道の復旧状況 震災前の給水戸数 25,809戸 5月4日現在 16,600戸(約64.3パーセント)に給水 今回一緒に災害ボランティアとして行動を共にしたメンバーは、小学校教諭、研修医、看護師、看護学校講師、専門学校講師、研究所オペレーター、大学生、専業主婦等様々な職種の方20名(男性16名女性4名)。自らの意志で参加し肩書を捨てて、ドロまみれになりながら活動する姿を見ると世の中にはこんなにも素晴らしい人たちがいたんだと嬉しくなりました。 29日午後6時30分奈良市役所を奈良交通のバスで出発、バスの中で同行スタッフより説明があり簡単な自己紹介を済ませ、休憩を入れながら一路岩手県一関市(今回の拠点)へ向かいました。30日午前8時30分一関市に到着。約14時間かかりましたがテンションが上がっているためか疲れもなくみんなやる気です。すぐに着替えを済ませ、先に入っているコーディネーターから現地の様子の説明がありました。くしくも我々が現地入りした前日は49日法要が行われたとの説明があり、またこれから作業に入るところの近くから昨日遺体が発見されたという報告受けました。 一同緊張しながら気仙沼市災害ボランティアセンター(以下災害VC)に移動、資材の借り方や報告書の出し方など説明を受け、いよいよ被災地にはいります。拠点としているところや災害VCの辺りは被害もなく普通の時間が流れていました。違うといえば、自衛隊の車が多くみられたことぐらいです。自衛隊も拠点にしているようでした。 30分くらい車を走らせトンネルを通過するといきなり右手に被災地が飛び込んできました。鹿折地区というところです。ここはブログでも書きましたが港から津波により重油が流れ込みそれに火が付き3日間燃え続けたところでテレビで見た方もおられると思います。 印象はまるで映画のセットのようで現実のものとは思えず 受け入れるのに時間がかかり今でも信じられません。瓦礫の山で壊滅的という表現しか出来ません。本当にここで人々が生活していたのかと思ってしまいました。また焼け焦げた匂いと津波により運ばれてきた様々なものの匂いでなんとも言えない匂いでした。いろんな思いを持ちながら作業に入りました。自分たちが入ったところは、自宅が残っており泥を掃除してほしいというニーズの御宅ばかりでした。地道な作業でしたが被災された方だけでは時間がかかると思われ少しでも早く元の生活に戻れればと思い続けていました。帰りには、おにぎりやジュースなどを頂き「ありがとう」と言って頂きましたが、心の中で「こちらこそ手伝わしていただきありがとう」とつぶやいていました。なにもかも失った状況で、なぜそんな言葉を発することが出来るのか、涙が止まりませんでした。3日間被災地に入ってみて出会った被災者の方、みんな明るく前向きで必ず元に戻るのでまた来てくださいとおっしゃってました。自分が見たものは被災地の中でもほんの一部分でしかありませんが長い支援が必要と思われます。現地に行かなくても出来ることはたくさんあると思うので今後も気仙沼を見守って生きたいと思います。困っている人がいたら、手を差し伸べることが出来る人がもっと増えたらもっともっと住みやすい世の中になると思います。 大宮道場 前 常義 |
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